今が幸せであれ

明日死ぬ前に書いとこう

昔と全然変わってないからこうなってることにようやく気がついてはじめて希望というものがわかったこと(約1,900字)

2018年12月30日

一昨日の感動以来、安らかな日々を過ごしております。
とはいえことしは思い切って春に会社を辞めてから、
収入も激減し、ハードな1年でした。

一所懸命の三十余年でしたが
後半は運もあってかどんどん同僚後輩に出世を越され。
それでもわたしのこの働きが
ほんのすこしでも世の中の誰かのために役に立っているのではないかという想いで
左遷されてもなんとか日々を頑張ってきました。

ですが左遷先での仕事を通じ、
昨年の冬、もうこの業界自体が誰の役にも立たない方向に向かっていると思った瞬間、
それまでの頑張りが一気に抜けて、
それに歩調をあわせたかのように早期退職制度の話が来て、
このままいたって春には減俸が見えてたし
家族の反対も頑張ってうけとめられず、
あっさり退職。

普通、退職というのは、
その後の人生とやらの計画を立ててからするものでしょうが
わたしの場合は、昨年の冬のショックが大きくて、
また何を目標にしてよいのやらわからぬまま、
身寄りのない左遷先でその後の仕事と
自分の目標を探したのですが、
あまりに働きの割に報酬が合わないバイトが嫌になったり、
また事業のために組んだパートナーが、
途中で目的を変えてうまく回らなくなったり、
結局今は、家族をなんとかしたいという気持ちで事業を起こそうとしてる人々などと
仕事をさせてもらってますが、
なにぶん始まったばかりの組織で、
儲けも運転資金優先にせざるを得ず
わたしも人がいいといえば人がいいんですが、
収入が殆ど無い状況で、
やってるしごとが役所対応とかパソコンの文書作成と、
こもって仕事すれば可能という状況に
だんだん生活全体が自堕落になりどう見ても廃人。

でもたとえ当面の収入なくても
今残ってる仕事ぐらいそろそろやらなきゃと
ようやくラップトップに向かって
ここ1か月以上なかったことだが、
1時間以上集中して仕事ができた。
これも一昨日の体験のおかげ。
それくらいささやかな幸せだったんです。

少々寒さを感じる中
この狭い部屋に越してきた時からあった
小さなデスクと座り心地の悪い椅子に座って
この仕事がのちのち何か満足のいく儲けが生まれるのか信じられないまま
それでもひたすら真面目に取り組んでいる自分

…あれ、この感覚、
もしかして小学生のときから
ほんとなんにも変わってない?

父は家族のために一所懸命(そして今も)働いてくれたし、
母も身を正さんと信仰厚い方だったが
子供が5人もいてはなかなか裕福といえる暮らしはままならず
その状況になんとなく劣等感を持ってしまった気弱なわたしは学校でもいじめられ、
田舎街であまり楽しいと思えることなどなく、
演劇が好きでやりたいと言ってもだれもまともに相手してもらえず
本をよむか勉強するかくらいしか継続できることがなく、
別にそれが大好きでもなかったが、
消去法でそれを続けてただけの毎日で
希望らしい希望もなかったあの頃。

信仰が窮屈だと思いつつ、なんで人は生きるのかと問う姿勢は
未だ持ってスピリチュアルと占いに向かい続けて家族に呆れられ
勉学は続けたものの家計を慮って進学を諦めたことで
がんばったって報われないんだという絶望感から抜け出せず

その心情って、
その後運良く東京に出て、思いもよらなかった出世をし、
わたしみたいな者が結婚もしてもらえて家族のために頑張る時もあって
それが一応の成功を納めたようにも見えたけれど
こうして一度いろいろと転落して、
ひとりになって思うのは、
心情自体が、全くもってなんにも変わってない。

あの時からなんにも変わってない。
いつまでたっても夢や希望が具体化できないのは、
ここから抜け出してなかったからだ、と。

遅いと言えば遅すぎかもしれないけど、
おそらくこのループを抜けられれば、
今までのようなおかしなアセンションやら信仰がなくったって、
もう少し建設的な解決策と
それを継続的にすすめるだけの持続力が保てるのではと思うと
今の苦境という想いもももうあと少しかなと思えた。

皮肉にも、
ひとりの仕事のペースを作るため
BGM代わりにタブレットで流してた音楽は、
小学生の頃ブレイクして、今また再浮上してきたYMO
これがきっかけで、
マントラの詠唱やシンギングボウル以外に
未だにテクノ・ハウス系などが好き。

年末ひとりで仕事中。
絵面的にも老いぼれのショボさが映りそうですが
今日の気付きは
目には決して見えないけど
この瞬間から先々の大きな希望が
こんどこそ、こんどこそ
ほんとに開けるような気がして
生きててよかったと一人静かに思え、
それ故こうして綴って残さねばと
綴らせていただけたことに

今までの薄っぺらいそれではない、
ほんとに深いとこで自分自身に
感謝。

ようやく
似非とそうでない信仰の違いを実感できる深いところに
たどり着けた。