今が幸せであれ

明日死ぬ前に書いとこう

新しいかばん(約1,200字)

2019年2月14日

最近移動の多い生活をしておりまして
友人が好意で貸してくれたスーツケースが
なかなか返せませんでした
あんまり借りっぱなしだったので
いい加減安くてもいいから
自分のスーツケース買わなきゃなと
何度か販売店に足を運びましたが
なぜか踏ん切りつかず

ところがこの間
短期の移動であったため
さほどの荷物もなく
大きなトートバッグと
ショルダーバッグだけで移動

で、たまたま移動手段として飛行機になり
鉄道やバスと違って数十分前にゲートくぐらなきゃまずいよね
何度やってもいまいちこれがなじめないんだよなと
チェックインして
いつものノリでカウンターに向かったら
「お客様」と航空会社のスタッフさんに声掛けられ
「なに?」
「お荷物はそれだけですか?」
「はい」
「でしたらこちらからどうぞ」
「え?チェックインカウンター行かなくていいの?」
「預けられる荷物が無ければ(機内持ち込みだけなら)
カウンターに寄っていただく必要ありません」

あ、そうなの?
というか、長いことスーツケース引きずってたので
チェックインカウンターにいくという手順が
脳内にマニュアル化してしまっておりました

ゲートくぐる期限まであと10分ちょっとのこの時に
ここで思わぬ時間短縮ができて
これは大変ありがたいしラッキーと
強く思いつつ無事チェックイン

で、思った

荷物が少ないってこんなに素晴らしいの?と。

スーツケースで移動が当たり前と思ってたのに。

で、着陸後
レーンに乗って流れてくるスーツケースを
今か今かと待ってる人を横目にさっさと出ていける

で、また、思った

荷物が少ないってこんなに素晴らしいの?と。

そうか鉄道やバスだと荷物の量の多少で
飛行機ほどタイムラグが起きないから気づかなかったけど
移動手段が何にせよ確かに身軽な方がいいな、と。

ということで
スーツケースをやめてバッグを探し、めでたく入手
いっぱい詰めてちょうど航空機(LLC)の
持ち込み手荷物最大サイズのかばんでリュックにもなる
(鉄道もバスもほぼ大きさクリアだろう)

……を買って思った。
わたしのねぐら、荷物多すぎじゃないか?

もしかしたら人は
このかばんに入るだけの荷物でも生きていけるのでは?

どこで聞いたか覚えてないが、
江戸の庶民の持ち物って
せいぜい一人あたり行李1つ分程度だったと

もちろん単純に量の比較だけでなく
今と生活様式や人々の衣食住に対する考え方などの
文化の違いもあいまっての結果だと思うが

まあ、何にしてもさっきのかばんに入るだけの荷物で生きていけるなら
もしかしたら非常時の防災袋みたいなのは要らないかもしれないし
それに、思い立った時すぐにどこかに移動してそのまま泊まれそう

わたしとしてはそれ、
結構素晴らしいんじゃない?
なんか変にわくわくした。
それも久しぶりに。

とりあえず、スーツケース借りてた友人たちにまず報告しようと
路線バスで移動しつつふと思いついたこと

「いやあ、映画自体はこれまで全く興味もったことないけど
そういえばこの大きさのかばんだけってなると、
車寅次郎ってこんな暮らし方だったのかなって
気になってさ」

………単純に、ウケた。

少しずつではあるが、今のところ、ねぐらの荷物が減りつつある。

(注:寅さんのかばんの画像、
フリーライセンスのものがなかった
(当たり前だわな)のでリンクで失礼)

信じるのでなく試すのです(約450字)

2019/2/10

今日の瞑想会のお話の中で
先生がこうおっしゃられました

四半世紀ほど前、
先生は海外で瞑想を学ばれていらっしゃったそうです。
その時
師はこうおっしゃられたそうです
「信じるのではなく試すのです」

いやこの言葉すごいなと

最近でこそ瞑想も少しは市民権を得ているのでしょうが
当時は今以上にうさんくさいこと限りなしだったであろうと
いう時期にこの言葉とは

信じるとなると『盲信』になりかねない可能性があり
これは自らを洗脳に陥れる危険性がありましょう。
それが裏返ると『不信』となって、
さらに恨みが募る危険性がありましょう

その信、不信という方向性を取らずに『試す』と
この場合、好奇心がなければしないでしょう
そして試して納得いかなければ
ああ、コケたか、でしょうか。

四半世紀前に瞑想を学びに海外に行った先生が
『好奇心』だけで行ったのか?
飄々と語るこの人、何者だ?と。

ただ、先生は
あれから約四半世紀経って現状を見たときに
結果としてそれが納得のいくものとなっている
ともおっしゃり

あたらしい視点をいただきました。

信じるのでなく試すのです(約450字)

2019/2/10

今日の瞑想会のお話の中で
先生がこうおっしゃられました

四半世紀ほど前、
先生は海外で瞑想を学ばれていらっしゃったそうです。
その時
師はこうおっしゃられたそうです
「信じるのではなく試すのです」

いやこの言葉すごいなと

最近でこそ瞑想も少しは市民権を得ているのでしょうが
当時は今以上にうさんくさいこと限りなしだったであろうと
いう時期にこの言葉とは

信じるとなると『盲信』になりかねない可能性があり
これは自らを洗脳に陥れる危険性がありましょう。
それが裏返ると『不信』となって、
さらに恨みが募る危険性がありましょう

その信、不信という方向性を取らずに『試す』と
この場合、好奇心がなければしないでしょう
そして試して納得いかなければ
ああ、コケたか、でしょうか。

四半世紀前に瞑想を学びに海外に行った先生が
『好奇心』だけで行ったのか?
飄々と語るこの人、何者だ?と。

ただ、先生は
あれから約四半世紀経って現状を見たときに
結果としてそれが納得のいくものとなっている
ともおっしゃり

あたらしい視点をいただきました。

占いでやってはならないこと(約1,200字)

2019/2/7

友人たちから呼び出しがあって
新しい仕事のチャンスが来そうだと話をしてくれました

知り合って約9か月
これまでの彼らの苦労を近くで見てきましたし
わたしも一緒に仕事絡ませてもらったこともあり
その朗報は他人事とは思えず
わたしも本当に嬉しくなりました

一緒に食事をしながら
夢を現実にしようと語る友人たちの笑顔に
わたしも元気づけられ

その食事の最後に友人のひとりが
あなた占いやってるよね
今年「大殺界」っていう時期みたいなんだけど
実際どうなの?と問われました。

わたしの今やってる占いは
カードやダイスを使う方法で
暦(星回り)をベースにしたそれとは
いわゆる占の世界では
種類が違うとされているものでもあり
あまり偉そうなことは言えないけど
気にしすぎてもしょうがないもの、と述べました。

友人が言ってた「大殺界」というのは、
暦のリズムに添って12年のうちに2年(ないし3年ほど)
誰もがよくない年回りがある、というもの

友人が生まれる前には「天中殺」という呼び名で名が知れたもので、
現在もいろいろと呼称を変えながら
数多の占い師様がお使いのものです。
ちなみに最初に「天中殺」を提唱した占い師(故人)の方は、
彼の占いが外れたことをきっかけに
その後占い辞めて反対派に回ったそうです

実はわたしは小さい頃に「天中殺」を知って
気弱な性格もあり、非常に恐れをなしました。
まず小学校入学の年がこれに当たり、
就職の年がこれに当たります
でも少なくともそうだからと言って、
入学卒業の時期を個人の意思でずらすなんてことは
ふつう、できないと思います。
だから「ああ、良くない人生なのかな、わたしって」
と心配と諦めの気持ちになったことがあります。

でも「良くないことが起こる」っていうのを
マス・コミュニケーションで流布して数多の方に恐怖を与えるというのは
占い師として、という前に
人としてどうなんでしょうかと今は思います。

暦をベースとした占いって、
古来、洋の東西を問わず
もともとは「流れ行く」天体の運行で情勢を把握し、
一国の進路の決定、
噛み砕けば政治のために使われていたものを、
その後個人の誕生「時点」を当てはめて
その個人がこういう性格だとか定義づけているものかと思うのですが
それ自体どうなのかなとの疑問から
わたしは暦だけの占いでは
人の疑問を解決できないのではと感じ
それがきっかけで
基本「今」しか見えない
カードやダイスを手にしました。

わたしの人生が順風満帆で成功したかと言われると
とても自信を持って人様に誇れるものではなく
それが占いでもこう出てるっていう言い方が
できなくもないのでしょうが、
それって必要もないのに人の力奪ってるだけじゃないかなって

手法や呼び名はともかく、
わたしの占いというものに触れていただける方には
無理に恐怖を植え付けて
それをベースに行動していただくようなことだけは
決してしてはならないと思ってます。

そんなことを思いつつ
お土産までもらってお礼を述べつつ友人たちと別れ、
改めて成功を祈らせてもらってます。

ヨガ、回復。(約220字)

2019年1月20日

2日前。

それから2日。
今朝、久しぶりにチャイルドポーズ。
そのまま猫のポーズ。
そして、形の良くないダウンドック。

呼吸が深くなって身体が動くようになった。
10年前に初めてヨガに触れた時を思い出す。
昨日より過ごしやすい一日になりそう。

今しばらくこのゲストハウスに潜伏することで
ここへ来る前に滞在していた場所では
狭すぎてできなかったことを
できるのは大きい。

情けない上京(約1,200字)

2019年1月17日

生活の不安が増大すると
目先のお金にとらわれるのは
致し方ないことと思います。

会社員を辞めてから、
何をして良いかわからずただ働きもせず
さすがにまずいと始めたバイト
まずはお金の話はあまり前面に出さないで、やったことない仕事なので、
言われたことをやってみよう、と。
ただ、最低賃金ぎりぎりの時給と、
出来高制の販売も、はじめの話の半分以下の出来だったので、
使っていただいてる方に悪意はなかったのでしょうが
あまりに最初の条件との落差に堪えられずフェードアウト。
職安にも探せば働き口などいくらでもあるというのは見ればわかるのですが
会社員時代の時給を超える職がないことに拒否を続け、
またその後バイトもせず、ただ悶々としていた時期がありました。
並行してやった仕事は、
まだ起業したばかりとかこれから展開とかで
たまにお給金をいただく程度(それでもありがたいことでした)
ほぼ無報酬で働きながら、
自分自身は貯金が減って死ぬのではないかとの恐怖に駆られ続けました。

程度問題もありましょうが
マズローの欲求5段階説(一説には6段階説)」でいう、
第1段階である生理的欲求も満たせず、
第2段階である安全の欲求も満たせない、という場合、
お腹は減るわ安心して住めないわという不安が募ると
それ以上の段階である社会的欲求、尊厳欲求、自己実現欲求
(それと自己超越欲求)など求めるのが難しいのかなと思いました。
そんな状態で不安に陥っている人に
「成功するまで続けよ」と言っても、なかなかできるものではないと思います。
いつ成功するかわからないものに時間とお金をかける勇気がそんな時に生まれません。
自分の立ち位置も確認しないで高みばかりみてました。

その状態のまま今回上京してみました。

悶々とした時を過ごしながら
ああこの時間を時給いくばくかのバイトでもしたが価値あるのではと
ただ悩み続けたその時間は
「時給」の概念に縛られたままでした。

考えてみれば、
昔はよく働きました。
朝早くから終電まで、家族との時間よりも仕事を優先しました。
労働時間は長かったけど
少しずつ給与が上がり、働いた分だけ手に入り、
それがプライドだったのかもしれません。
ですがいろんな事があって、徐々にまわりに先を越され、
一所懸命わたしのほうが真面目に働いたのに何故?の気持ちが抜けず、
あと業界の先がないと思って辞めてから
何をしようかと思いつつ、
自分探しと人に言われた時期。

そういう踏ん切りの悪さを置きざりにして上京したのかもしれません。
会社辞めたことは後悔してないけど、
時給に負けて会社辞めたその考え方だけずるずる引っ張ってたなと

今日「あなたすぐこちらに戻るべきだったかも」とも言われたことを
現在潜伏先のゲストハウスで思いつつ、
そこまで理解できたからこそ
こんどこそ、きちんと働かなきゃという気が
辞めてようやく出てきました。
それだけでも、上京の効果はあったかもしれません。

これもいわゆる「大企業病」(約1,350字)

2019年1月6日

 

退職後、糊口をしのぐためにやったバイトが
かなり金銭的および労働条件的に納得が行かず辞めてしまい
またその後チームメンバーとなってやってる仕事も
しばらく報酬も期待できないからと出来る時にお手伝いの気持ちでやっていて
結果ほとんど報酬が入らない暮らしになって
どう対処して良いか分からず、
かといってこのままではと致し方なくハローワークに行きました。

以降、良い条件の仕事はないかと
何度かハローワークに行ってるのですが
高卒無資格(*下段参照)のわたしが
前職を凌駕する条件の収入のある仕事がある訳でなし
またこれがしたいと思うものも見いだせず
日々の生活で時間に追われることがほとんど無くなって。
(* 当たり前の話ですが
その業界を離れてしまうと自然に剥奪される資格というものは
あなたがいくらその資格に価値があると主張しても
業界の外にいる方から見て意味を成さない場合があります。
ただし、あなたのキャリアにハクをつけるため
名刺やプロフィール欄を1行増やすことまで止めるものではありませんし
場合によってはそれが功を奏することもありますが。)

煮詰まった日々でしたが
たまたま昨日ハローワークの求人検索のパソコンで
『キーワード検索』というものがあるのを初めて見つけました。
で、何気にふと浮かんだ『広報』という文字を入れてみたら
今までと違う切り口の求人が出てきました。
パートで時給の安い仕事でしたが面白そうなものがあったので
それをハローワークの職員さんに相談してみました

職員さん「この会社、パートさんでも社会保険に入らされますよ。
大きな会社だとこういう場合も多いんですが。
この時給でこれだけの勤務時間しかないのに
その報酬から社会保険控除されますがそれでもいいでしょうか?」
わたし「実入りが減るということですか?」
職員さん「パートさんだとご家族の社会保険に入るパターンが多いんで、念のため。
あとハローワークの紹介状の発行はすぐ出来ますが
発行日付は一度発行するとあと送りできません。
履歴書などと一緒になるべく早く募集の会社様に渡してください。
あまり遅くなりますと、その間何を検討していたのかという疑問を持たれます」
わたし「一度発行していただいた紹介を取り消すことはできますか?」
職員さん「出来ますけど、事前連絡をした会社様にはお宅から連絡していただく必要があります。事前連絡不要であればそこは良いのですが」
わたし「それを再度発行してとお願いしたら」
職員さん「それもできます。
ですが、同じ募集案件だと発行日は前回発行の日付でしか出せません。
それ出しても、一度お断りを入れていただいた会社様は
『あなた一度断ったよね』となりましょうし、
事前連絡不要の会社様も、最初の説明と同じ結果になりましょう」
わたし「紹介状を発行していただくって、その時点での会社への意志表示なんですね」
職員さん「はい。ですからもし今日迷われるのでしたら、少しお考えいただいて、意思が固まったところで履歴書などの書類を作っていただき、紹介状を手に入れたらなるべく早く会社にご連絡いただく、という流れでないと」

……その履歴書を作る踏ん切りも付いてなかった。
まだまだ要らないプライドが巣食ってました。
自然にニート化して生きる希望も失ってたのは恐ろしいことです。

ついでに最近、人に会うこと少ないし。